『ある天文学者の恋文』を見ました!
亡くなった恋人からメールや贈り物が届く不思議な展開ですが、タイミングよくどうやって送ったの?と疑問になりますよね。
感想と共にそんな疑問についても解説・考察を書きました!
ネタバレになりますので、映画未視聴の方はご注意下さいね。
目次
『ある天文学者の恋文』の作品情報
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【原題】La corrispondenza
【劇場公開日】2016年9月22日
【製作年】2016年
【製作国】イタリア
【配給】ギャガ
【監督】ジュゼッペ・トルナトーレ
【キャスト】ジェレミー・アイアンズ、オルガ・キュリレンコ、オルガ・キュリレンコ、他
あらすじ
著名な天文学者のエドと教え子のエイミーは、周囲には秘密で年の差の恋愛を満喫していた。
ある日、大学で授業を受けていたエイミーのもとに、出張中のエドから「もうすぐ会える」というメールが届くが、エドの代わりに教壇に立っていた別の教授から、エドが数日前に亡くなったという訃報を知らされる。
その後もエイミーのもとにはエドから手紙やメール、贈り物が届き、疑問を抱いたエイミーはエドの暮らしていたエジンバラの街を訪れる。
そこでエイミーは、彼女自身が誰にも言えずに封印していた過去について、エドが調べていたという事実を知る。
引用元:映画.com
メールや贈り物を届けていたのは誰?
死んだ夫(本作では恋人)から手紙が届くというストーリーは『P.S.アイラヴユー』『妻への恋文』なんかを思い出します。
両作とも、死んだ人が手紙を出せるわけはないのでそれぞれ頼まれた人たちがいたわけですが、『ある天文学者の恋文』の場合は手紙もありますがメールが大きな役割を果たしていて前述の二作とはちょっと違います。
メール、手紙と贈り物は誰が送っていたのでしょうか。
弁護士グレン・ダレル
エジンバラのエドの自宅の様子を伺ったエイミーですが、エドの死を受け入れられず呆然としています。
その時エドからメールがあり「困っているのなら、グレン・ダレルの事務所へ行け」と指示されます。
グレン・ダレルはエドの弁護士でエドからエイミーに渡すものを委託されていました。
仕事に忠実なグレンは、エイミーがエドからの死後の連絡を断とうと「エイミーエイミー…」と11回書いてメールした時は、その後後悔したエイミーがグレンを訪れてエドからの連絡を再開するよう求めてもきっぱりと断っています。
エイミーに余計なことも言わず、エドがきっと頼りにしていただろうと思えるプロフェッショナルな仕事ぶりです。
アンジェラ
エイミーがエドの別荘であるイタリアの島に行った時に出会うのがアンジェラです。
アンジェラはエドが死ぬ前に会っていて、エドが岩場でぼんやりしているところを見ています。
その様子をエイミーに伝えていたのですが、そのアンジェラがエドの別荘に現れます。
エイミーが、別荘で物音に気づいてリビングに行くとアンジェラの姿があるのです。
アンジェラはエドに頼まれてエイミー宛のものをそっと置くつもりがエイミーに姿を見られてしまったのです。
エイミーが別荘に着いた時、まるで誰かがいるのかのように暖炉に火が灯されていましたが、それもアンジェラがやったことでした。
エイミーの母
エイミーはエドに母との確執を話していませんでした。
でも、その確執に気づいていたエドはエイミーに言わずにエイミーの母親に会いに行っていました。
そしてエイミーが母親を避け、まるで死に急ぐようにスタントの仕事をする理由を知るのです。
エイミーにそのことをお説教してエイミーは怒ってしまうのですが。
それでもエドがエイミーの母親に会いに行ったことには意味がありました。
母親と打ち解け、エイミーへの手紙を託したのです。
エイミーが幸せに生きるためには母親との確執を解消するのがどうしても必要だということがエドにはわかっていたのですね。
母親からエドの手紙を受け取った時のエイミーはとても穏やかで幸せそうでした。
メールはどうやって送っていた?
メールをどう送信していたかは詳しく語られません。
ですが、タイミングを予測してメールを送信するよう設定していたと考えられます。
名前を11回打つ、などもプログラムの一つだったのでしょう。
でも、家族に送るべきメールをエイミーに誤送信したり、タイミングを間違えてエイミーを笑わせたりとお茶目なシーンもありました。
『ある天文学者の恋文』の感想
本作の監督ジュゼッペ・トルナトーレの代表作といえば『ニュー・シネマ・パラダイス』『マレーナ』『鑑定士と顔のない依頼人』などですよね。
前述の3作に共通するのは、男性が恋愛対象に対し強い思い入れがあって、自分の女神のように思っている印象があります。
また、年齢差も印象的です。
『ニュー・シネマ・パラダイス』では同年代くらいだと思いますが、終盤かつての恋人の若い時の映像を切ない表情で見ている主人公はもう年配。
『マレーナ』では、少年が年上のマレーナを熱い視線で見つめています。
『鑑定士と顔のない依頼人』では年老いた鑑定士が若い女性に恋をします。
本作では、若い学生である主人公エイミーが年の離れた教授と不倫関係にあります。
美人で聡明、仕事でスタントもこなし博士課程を修了しようとしているエイミー。
引く手あまたじゃないか!と思ってしまいます。
映画の終盤に男友達がエイミーを見て「彼女を幸せにする男は幸運だな」と言います。
それなのに、なぜ親くらい年の離れた男性、しかも既婚者と!?
エイミーはちょっと引いちゃうくらいエドに入れ込んでいます。
今までジュゼッペ・トルナトーレが描いてきた男女の関係が逆転しているようにも思えます。
けれど、映画を見ているうちにやはり男性から女性への思いの強さを感じます。
だって、死んだ後にまで多くの手紙やメール、贈り物を用意するのですから。
理想なんでしょうね、ジュゼッペ・トルナトーレにとって。
聡明で美しい女性が、というより恋した女性に思い切り身を捧げるような愛し方が。
確かに、そんな風に人を愛せたら素敵だと思います。
でも、なんだろう。
共感はできなかった^^;
年が離れてるから?
不倫だから?
いや、そうじゃないな、と後になって気づきました。
きっと、自分を顧みるより相手にフォーカスしすぎているからなんだと思います。
エイミーはあまりに盲目的にエドを愛しているように見えるし、エドにおいては「家族は?」って思ってしまう。
ジェレミー・アイアンズこういうの似合いますけどね。
『ダメージ』の恋におぼれて落ちぶれていく姿なんて最高に色っぽいです。
本作では年を取ったせいか、『ダメージ』同様年の離れた女性に恋をしてもどこか父親感があってそのせいで入り込めなかったのかも。
好きな点もあります。
『ニュー・シネマ・パラダイス』から続く美しい映像と音楽。
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エイミーとエドがいるホテルのシーンで始まりますが、もうそこから美しい。
カーテンやエドが着ているシャツ、廊下の絨毯など青が印象的で、二人が愛し合う激しさを静かに抑えているような絵作りが本当にきれいです。
イギリスの町並みやエドの別荘のあるイタリアの島も素敵。
そして、エンニオ・モリコーネの音楽。
『ニュー・シネマ・パラダイス』の音楽があまりにも有名ですが、本作の音楽も美しかったです。
不倫の恋って、こういう美しい映像や音楽で浄化されるのでしょうか( ̄ー ̄)
いや、それは冗談ですが作品に品を添えているのは確かだと思います。
私は結婚して恋愛から遠のいてしまったから入り込めなかったというのもあるかもしれません。
恋愛中の方には共感できるところがあっていいのかな、と思いました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!