映画『スイス・アーミー・マン』を見ました!
あらすじは知っていたけれど、見てみて改めて「なんじゃこりゃ!」でしたね。
多くの方が「これはハンクの妄想?幻覚なの?それとも現実?」と思ったのではないでしょうか。
解釈は人それぞれだと思いますが、私の感想や考察を書いてみました!
ネタバレありで書いていますので、映画未視聴の方はご注意下さいね。
目次
『スイス・アーミー・マン』の作品情報
【原題】Swiss Army Man
【劇場公開日】2017年9月22日
【製作年】2016年
【製作国】アメリカ
【配給】ポニーキャニオン
【監督】ダニエル・シャイナート、ダニエル・クワン
【キャスト】ポール・ダノ、ダニエル・ラドクリフ、メアリー・エリザベス・ウィンステッド
『スイス・アーミー・マン』のあらすじ
無人島で助けを求める孤独な青年ハンク(ポール・ダノ)。
いくら待てども助けが来ず、絶望の淵で自ら命を絶とうとしたまさにその時、波打ち際に男の死体(ダニエル・ラドクリフ)が流れ着く。
ハンクは、その死体からガスが出ており、浮力を持っていることに気付く。
まさかと思ったが、その力は次第に強まり、死体が勢いよく沖へと動きだす。
ハンクは意を決し、その死体にまたがるとジェットスキーのように発進!
様々な便利機能を持つ死体の名前はメニー。
苦境の中、死んだような人生を送ってきたハンクに対し、メニーは自分の記憶を失くし、生きる喜びを知らない。
「生きること」に欠けた者同士、力を合わせることを約束する。
果たして2人は無事に、大切な人がいる故郷に帰ることができるのか──!?
引用元:『スイス・アーミー・マン』公式サイト
『スイス・アーミー・マン』はハンクの妄想・幻覚?
スイス・アーミー・ナイフ(十徳ナイフ)のような多機能な死体、という現実離れした設定だけに、無人島に一人流れついて生きる希望をなくしたハンクの妄想や幻覚なのでは、という見方ができますよね。
妄想にしてもぶっ飛び過ぎていて想像力豊かすぎですが^^;
でも、そう考えたほうが自然というか受け入れやすいですよね。
過酷なサバイバルを乗り越えるためにちょっとおかしくなってしまったほうがハンクはラクだったのかもしれません。
そう思っても、途中までは「ファンタジックな冒険物語」という雰囲気で、ハンクは気が確かでメニーは実際「多機能死体」のように思えました。
二人が協力することによってサバイバル生活に彩りがあり、楽しそうに過ごしてましたし。
でも、終盤現実世界に戻った時、ハンクとメニーを見る人々の反応は「気味の悪いものを見る目」でした。
まぁ実際「気味の悪い二人(うち一人は死体)」ですけど^^;
その反応は「突然現れたサバイバーに驚く」というよりは「異常者を目の前にして恐怖を感じる」という感じでしたよね。
ハンクの父親も、ハンクとうまくいっていなかったとはいえ、喧嘩していた息子に再会したというよりは「心を患った子供と再会」という風情でしたし。
何より、ハンクとメニーがロマンチックに過ごした手作りのバスを見る人々の目が「精神異常者の生活の場を見てしまった」感じでなんだか悲しくなりました。
二人が、ハンクの想い人との出会いを再現していた可愛らしい思い出の場所もなんだか違ったものに見えました。
ここまで見ると、やはりハンクは心の病があって妄想の中で過ごしていたのではないか、全ては彼の幻覚だったのだろう、と思いますよね。
無人島もハンクの妄想で、実は自分が好きだった女性の家の裏山でサバイバル生活をしていたのではないか、と。
駆けつけたマスコミがハンクのことを「メニー」と言ったことも混乱させる一因です。
「メニーとハンクは実は一人の人物なの?私たちがハンクだと思っていた人物は実はメニーで、ハンクのほうが想像の産物だったのだろうか」なんて思ってしまうところです。
ここまでが「すべてはハンクの妄想・幻覚説」。
『スイス・アーミー・マン』はぶっ飛んでるけどファンタジックな現実
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長々と書きましたが、私の考察というか解釈はこっち。
とんでもないお話だけど、現実だった。
メニーは、ハンクの心が作り出したものかもしれません。
うまくいかない現実を過ごすハンクと、記憶がない死体のメニー。
生きている人間と死体だけれど、ある意味二人とも死んでいたのです。
でも、ハンクがメニーに自分を投影することによって記憶のないメニーが生き生きとし、それによってハンクも生きようとするのです。
そうして行き着いた先が現実の世界。
現実に戻ってきた二人は再び「人間とただの死体」に戻ります。
ここで終わったら「ハンクの妄想」っぽくなってしまいますが、私が現実だと思う所以は二人以外の登場人物が一気に現れ彼らもメニーを目撃するところにあります。
第三者の目を通すことによってメニーの存在も現実味を帯びたと思うのです。
レポーターがハンクを「メニー」と呼んだことが本当に紛らわしいのですが、これもどうやら言い間違いだとわかります。
そしてラスト、メニーは一旦はただの死体に戻ったように思えましたが再びおならの推進力で海を走り始めます。
ここでようやく、ハンク以外の人々もメニーが「スイス・アーミー・マン」であることを知るのです。
(一つの機能だけですけど)
妄想とも不思議な現実ともとれますし、納得いくのは「妄想の混じった現実」でしょうか。
個人的には、それが一番しっくりくる気がします。
『スイス・アーミー・マン』の感想とネタバレ考察
『スイス・アーミー・マン』は考察しがいのある映画ですね。
見る人によって受け取り方が全然違うと思います。
「ハンクは死んでる」という見方もできると思います。
無人島は死後の世界で、ハンクは自分が死んだことを理解できてない、と考えることもできるかな、とか。
個人的にはハンクは死んだわけではなく「死んだように生きてきた」という表現で「生きているような死体」メニ―を登場させ自己投影しているように感じました。
ハンクが片思いしていた彼女を、メニ―が自分の生前の恋人だったと勘違いして無邪気に語るのもハンクの願望が出ているような気がします。
ラスト、メニ―が海に去っていくところは「死んだように生きていた自分」を重ねて「もうそんな死んだような自分はいなくなった」という表現のようにも思えます。
ダラダラと書きましたが、私の感想・考察はこんなところです。
皆さんはどうご覧になりましたでしょうか(^^)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!