【実話】ある少年の告白の原作は?作者ガラルドコンリーについて

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同性愛を「治療」するという衝撃的な内容の映画『ある少年の告白』ですが、驚くことに実話です。
原作の小説と作者のガラルド・コンリーについて紹介します。

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『ある少年の告白』の作品情報

【原題】Boy Erased
【劇場公開日】2019年4月19日
【製作年】2018年
【製作国】アメリカ
【配給】ビターズ・エンド、パルコ
【監督】ジョエル・エドガートン
【キャスト】ルーカス・ヘッジズ、ニコール・キッドマン、ジョエル・エドガートン、ラッセル・クロウ、他

あらすじ

アメリカの田舎町で暮らす大学生のジャレッドは、牧師の父と母のひとり息子として何不自由なく育ってきた。そんなある日、彼はある出来事をきっかけに、自分は男性のことが好きだと気づく。両親は息子の告白を受け止めきれず、同性愛を「治す」という転向療法への参加を勧めるが、ジャレッドがそこで目にした口外禁止のプログラム内容は驚くべきものだった。自身を偽って生きることを強いる施設に疑問と憤りを感じた彼は、ある行動を起こす。

引用元:映画.com

『ある少年の告白』の原作

『ある少年の告白』の原作はガラルド・コンリーの小説「Boy Erased」です。

あらすじにある通り、牧師の息子として育ったジャレッドが自分は同性愛者であると自覚したことから両親と衝突してしまいます。
そこまではよくあるストーリーですが、同性愛を「治療」するという施設があるということ、しかもこれが実話だというのですから驚きです。

本作は2016年に発表され、ベストセラーとなりました。

残念ながら邦訳は出版されていません
映画の公開が近づいても邦訳出版のお知らせがないので、今のところ原作に興味のある方は洋書で読むしかないようです。

本書は12カ国語以上に翻訳され出版されているのですが、日本語にはなっていないなんて…
読みたいと思っている方は私を含めて多いと思うのですが、残念(T_T)

原作はこちらです↓
Boy Erased: A Memoir of Identity, Faith, and Family

作者ガラルド・コンリーについて

 

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作者についても気になりますよね。

ガラルド・コンリーはアメリカ、アーカンソー州で育ちました。

父親はバプテスト派の牧師ということから、厳格な家だったのだと思います。
大学生になり、あまり詳しい記述が見つからないのですがレイプの経験があるらしく、その後映画に登場する施設Love in Actionに入ることになるので、「同性愛」と「治療」にかかわる何らかのきっかけなのかもしれません。

コンリーは自身の経験を通して、その治療を終わらせる手助けをしています。
また、転換治療についてのポッドキャストUnErasedのプロデューサー兼作成者としても活動しています。

現在は夫と共にニューヨークに住んでいます。

映画の内容が衝撃的で乗り越えることは多かったと思いますが、パートナーと共に幸せに暮らしているのかな、と思うと安心しますね。

まとめ

・『ある少年の告白』の原作はガラルド・コンリーの小説「Boy Erased」
・作者ガラルド・コンリーは現在夫と共にニューヨーク在住。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

>>ある少年の告白のネタバレと感想をラスト結末まで!海外の評価は?

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2 COMMENTS

匿名さん

同性愛の矯正施設の存在が、意外だと思われる時代になったのだなと感慨深いですね。キリスト教国である欧米では、同性愛への偏見は非常に根強いものでした。バブル期のまえだったでしょうか、アメリカでは同性愛者だとわかっただけで、道を歩いていると暴行を受けて殺されるなんてことは時々報道されていました。[トーチソングトリロジー」というゲイを題材にした有名な舞台でも、このエピソードが出てきます。数年前アメリカでも日本でも人気のあったハードな感じの刑事ドラマでも、刑事の1人が同性愛に目覚め、その後キリスト教系の境界で、同性愛は病気であり、乗り越えられると言う指導を受けるところがあります。宗教が生活の中心にある地域では、同性愛である事はタブーですし、神が望む姿になるためには矯正は当然と考えるようです。
 現在では、アメリカの在日領事が、日本では同性愛が差別されていると講演を行うくらいになりましたが、実際のところ、日本はキリスト教文化の入る前の江戸時代までは、恋愛に男女の別がなく、同性愛は異性愛と同じように扱われていました。現在キリスト教国の文化が一般的になってしまった日本では、同性愛者が法的にも社会的にも差別なく生活しているとはいえませんが、その日本人が、この映画を見て驚くとすれば、それは根本的に、日本人が、同性愛は個人の自由で有るという事をどこかで感じているからでしょう。ただ、自分の家族だったらとか、友人だったらとか、となると考えてしまうでしょうが、他人の話なら、他人のプライベートには口を挟まないと言うのがほとんどでしょう。それは日本人が、同性愛のことを心底から悪いことだとは思っていないからです。そう人もいる程度には思っていると言うことです。
 キリスト教国のカトリックや、プロテスタントの社会では、そのような生やさしい解釈ではないようです。神の教えに背く行為であり、それは悪魔に誘惑されたような行為ですから、当然神への信仰のためには、矯正されて当たり前、間違いを起こさないように教え諭して当たり前なのでしょう。
 一方、多神教でもある日本人には、この辺のかたくなさはどうも理解できないというのが本当のところでしょう。
 この手の問題を見ると、私は一神教そのものの狂気じみた内面を目の当たりにする気がするのです。

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elin

匿名さん様

コメントいただきありがとうございます。
深い考察ですね。

そうですね、日本では大河でも男性愛の描写があるくらいですものね。
対し西洋では、同性愛が発覚して刑罰に処されるというのは映画でも描かれています。

『ある少年の告白』は今日見てきました。
感想等は記事に書きますね(^^)

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