映画『ラストレター』は未咲の葬儀のシーンから展開されていくストーリーです。
色々な疑問が浮かぶ映画ですが、中でも未咲の死因が気になります。
また、未咲と鏡史郎が別れた理由についても考察します。
『ラストレター』の未咲の死因を考察
「そして最後は山の中で・・・」と、涙を堪えながら鏡史郎に話す裕里。
裕里の言葉から考えられる未咲の死因とは。
身内だけが知る死因は自殺
裕里のセリフにこうありました。
「何度も自分で手首を切って、自殺未遂を繰り返して、そして最後は山の中で・・・」
最大の要因は、阿藤の存在です。
大学時代に駆け落ちをし、結婚した未咲。
その相手が阿藤です。
阿藤は暴力をやめられない人で、娘の鮎美にも手を上げる程でした。
ずっと我慢してきた未咲ですが、いつの日か耐えられなくなり、
山の中で手首を切って命を絶ったのでしょう。
周りに公表した死因は病死
「もともと病気がちだった」と、裕里と鮎美は口を揃えて言っていました。
ですが、具体的な病名は公表していません。おそらく心の病。
うつ病だと考えます。
その他に、身体的な面も考えられます。
高校時代、未咲が通う学校では季節はずれの風邪が流行っていました。
未咲もその風邪にかかり、随分と長引いていました。
この点から、未咲は風邪を引きやすく、なかなか治らない、そういう体質だったのではないでしょうか。
精神的にも身体的にも能力が低下し、完全に衰弱していった未咲。
本当の死因は自殺ですが、世間には悪いイメージを持たれてしまう死因。
世間のことを考えた上で、このような病死という公表をしたのでしょう。
未咲と鏡史郎が別れた理由は?
この投稿をInstagramで見る
未咲と鏡史郎は大学時代に付き合っていました。
2人が通う大学の食堂で働いていた阿藤。
阿藤はその大学の生徒ではなく、素性の知れない人でした。
その阿藤が鏡史郎から未咲を奪い、別れることになってしまったのです。
そんな簡単に別れてしまうのか?と疑問を抱きますが、
何者なのかよく分からない、素性の知れない阿藤の存在を恐れていたのでしょう。
『ラストレター』の感想
この「ラストレター」という作品は、自然がたくさん溢れていていました。木々の緑、蝉の鳴き声、澄んだ空、滝の流れる音、光る水面、隙間からこぼれる陽の光・・・。
そんな美しい町の中で物語はゆっくりと進んでいて、私は心が癒されました。
私には印象に残っている言葉が2つあります。
1つ目は、裕里のセリフ
「誰かがその人を想い続けたら、死んだ人も生きていることになるんじゃないでしょうか?」です。
死んだ人はもうこの世には戻ってきません。
悲しいことですが、直接話すこともできません。
しかし、その人を想うことによって、心の中で生き続けるということを教えてくれました。
幼い頃に亡くした大切なあの人に、手紙を書いて送りたくなる。
そんな温かい気持ちにさせてくれました。
2つ目は、卒業生代表の答辞でもあり未咲の遺書でもあるあの言葉、
「つらいことがあった時、生きているのが苦しくなった時、きっと私たちは幾度もこの場所を思い出すのでしょう。
自分の夢や可能性がまだ無限に思えたこの場所を。お互いが等しく尊く輝いていたこの場所を」です。
つらいこと、苦しいことはきっと誰もが経験していると思います。
しかし、楽しかった思い出や誰かの支え、そして未来への希望があったから、今まで生きてこられたのだと思います。
この言葉が私にも向けられている気がして、つらいことがあっても頑張ろうと思えました。
「ラストレター」の魅力は、「大切な人に手紙を書きたくなる」ということです。
その相手は人それぞれだと思います。
亡くなってしまった人、なかなか会えない人、一緒に暮らしている人・・・。
他にもいるかもしれません。
直接話せないことだったり、恥ずかしくて本当のことが言えなかったりする人も、「手紙」という言葉のツールを使えば伝えられると思います。
たくさんの人に『ラストレター』を見てほしいと思っています。
まとめ
・未咲の死因は、身内だけが知っている自殺であり、周りが認知している病死でもある。
・未咲の死因、未咲と鏡史郎が別れた理由には、共に阿藤の存在が影響している。
・阿藤とは一体何者なのか、とても気になるところがある。