以前映画『ヘルタースケルター』を見たのですが、最近になって再度見てみました。
改めて見てみると、色々と原作との違いがわかります。
原作の漫画には海外ドラマの『ツインピークス』を思わせるところがあるんですよね。
映画と原作との違いや『ツインピークス』を連想させるシーンについて紹介します!
『ヘルタースケルター』の映画と原作との違い
りりこ
最初にこの映画を見た時は「意外と忠実に描いているなぁ」と思いました。
というのも、原作にあるセリフがわりとそのまま使われていたからです。
でも、原作と映画ではりりこの印象が違います。
原作は見た目こそ美しいものの性格は野蛮で下衆で横暴。
わがままなセレブリティの見本のような人物です。
映画では演じているのが沢尻エリカだからなのか、どこか可愛らしく繊細です。
りりこが周囲に対する横暴さも原作同様に描いてはいるものの、ひたすらりりこが追い詰められ、雨の中ぐちゃぐちゃになって泣きながら「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」と尋ねるシーンはいたいけな子供のようです。
原作でも同じセリフはありますがもっとドライで、言ったあとに「なーんてね」と付け加えます。
雨の中落ちたクスリをかき集めて飲むシーンもありません。
映画では、テレビ番組の収録中にりりこが幻覚を見て取り乱し、大騒ぎの末倒れてしまうというシーンがあります。
蜷川実花の鮮やかな色合いが本領発揮の派手な場面です。尺も長いです。
原作ではもっとあっさりと「りりこは幻覚を見るようになった」という一コマがあるのみで、それもマネージャーの羽田が1人いるだけです。
映画のりりこは横暴さもさることながらとにかく追い詰められ可哀想な印象です。
ここまでやるかというくらい狂気にみちた悲惨さがあります。
原作も狂気的なところは同様ですが、追い詰められてもなんとか這い上がって生きてやろうという意思が感じられます。
だから、漫画の中でも印象的なこのシーンも違って見えるのです。
原作では「なんかすごいなこの人」と圧倒されるような強さがあります。
映画では引きで撮っていてりりこがちっぽけに感じ「なんか可哀想…」という印象です。
ルックスの違いもあるのでしょうが、全体の印象として原作はハリウッドのわがままセレブリティのようなド迫力。
映画ではもっと身近な、女子高生が憧れるアイドルっぽい感じでした。
どちらがいいというわけではなく、原作でも女子高生たちの憧れには違いないのですが、受ける印象が違います。
違うものの、沢尻エリカ魂心の演技はすごかったです。
麻田検事
個人的に大きな違いを感じるのは大森南朋演じる麻田検事です。
原作とルックスも大きく違うこともあり、セリフが周りから浮いている感じがします。
コーヒーについて「カップの中に漆黒の夜が溶け込んでいるようだ」と言うと、女性職員に「ポエムですか?」と突っ込まれます。
原作ではもっと自然です。
そういう意味ではりりこの恋人役を演じた窪塚洋介のほうが「僕は船乗りになりたかった。昆虫学者にもね」といった感傷的なセリフも自然だったし、ルックス的にも検事に近かったのではと思ってしまいます。
もっと大きな原作との違いは、りりことの距離です。
映画では、麻田検事がりりこを追って、ロケ先の水族館に行き、短い時間で物理的にも心理的にもりりこに急接近します。
ただし、心理的な交差はその一瞬だけで、りりこはすぐに目を覚ましたように麻田検事から離れていきます。
原作では麻田検事はりりこにとってもっと大きな存在で、唯一自分をわかってくれる存在として離れていてもシンパシーを感じ、深い部分で繋がっている描写が度々描かれます。
この部分については後ほど詳細を書きます。
マネージャー羽田
映画では寺島しのぶが演じています。
原作より大分年上に感じます。
羽田の恋人役を綾野剛が演じていますが、原作と違って年の差カップルといった感じです。
とはいえ、年齢的なことはさほどこだわることはないのかもしれません。
それより性格の描き方が原作と大分違いました。
原作ではあまり個性がなく自分に自信がなくてりりこに従ってしまう。
映画でもりりこに従順なところは同じですが、原作より天真爛漫なところがあり、りりこをひたむきに支えようとします。
もっとも大きな違いは、映画では何度も「りりこさんは私がいないと何もできないんです」と嬉しそうに言います。
「自分がりりこを支えている」という気持ちが大きいように感じます。
そして、印象的なのはりりこの過去をマスコミにリークするシーン。
原作では、麻田検事がりりこに渡した過去の資料(りりこが太っていて醜く、風俗嬢だったことが記してある)を何十部もコピーしてありとあらゆる雑誌・新聞社に送りつけます。
その行為自体は映画でも同じなのですが、表情が全く違います。
原作では沈んだ表情で「いいんだ。これでいいんだ」と自分に言い聞かせるようにして資料を投函します。
映画では笑顔で嬉しそうに投函します。
セリフこそないものの「これでりりこは楽になる。自分がりりこを救うんだ」という気持ちが伝わってきます。
記者会見
原作のファンが一番気になったのは記者会見のシーンではないでしょうか。
映画では記者会見にりりこが現れます。
記者たちが激しくフラッシュを炊き見守る中、りりこは無言でナイフを取り出し目に突き刺します。
記者たちは驚きの声も上げず、一瞬静まり返るものの、再びフラッシュを浴びせてその様子を記録し続けます。
まるで「りりこなんてどうでもよくて、この異常なできごとを記録することが大事。りりこはただのフリークス」といった感じです。
この映画でのりりこの扱われ方がはっきりと現れている場面です。
りりこは世間が臨むフリークスを従順に演じてきたために最後には追い詰められ、まるでその復讐のように皆の見ている前で目を刺してみせたように思えます。
最後まで世間が臨む最高のショーをやってみせた、という見方もできます。
原作のりりこは記者会見に現れません。
記者会見で銃で自殺しようと目論見ますが、そこで麻田検事との不思議な感応が起こります。
「そんなサービスをしても皆さんにはむだだ。15分も立てば忘れられてしまう」と意識の中で諭されます。
りりこは普段から頭痛に苦しんでいました。この時もそうです。
頭痛はどうやらりりこが精神的に受けている痛みを表しているようです。
「そうだ。もっと別の痛みを与えれば」と考えりりこは自分の目をえぐります。
そして、りりこと麻田検事はこの感応の交信を最後にし別れを告げます。
りりこは記者会見に現れず、目玉を残して消えたことで伝説になります。
最後の最後に世間の臨むりりこ像を欺き「してやった」とも言えます。
映画では目を刺したあと赤い羽の中にばたりと倒れます。
ツインピークス
映画で描かれなかったことで一番大きなことは先に書いた麻田検事とりりこの不思議な交信です。
原作ではりりこと麻田は度々、人体模型の描かれたミステリアスな部屋で意識内で感応するのです。
ドラマ・映画の『ツインピークス』で描かれる「ロッジ」のような場所です。
「ロッジ」は人々の共通意識のような場所で謎に満ちた描かれ方ですが、重要な場面です。
『ヘルタースケルター』に現れる部屋も同様、りりこと麻田は不安を感じるとその部屋で交信します。
麻田が過去に両親の死体を見つける場面もあり、凄惨な過去があることもわかります。
「あなたが白いぶん、どこかが闇になる」
「あなたがしろければ白いほど あたしはどんどん黒くなるの」
「あなたと私は同じ羽だった」
2人は生き方こそ違えど共感できるところがあるのです。
互いを「兄さん」「妹よ」と呼びます。
麻田が検事としてりりこに辿り着いたのも運命だった、とも受け取れます。
映画ではこの描写はないので麻田は「なんだかキザなことを言う検事」という感じになっています。
ちなみに、この不思議な部屋は原作のラストでりりこがいる部屋です。
そこへりりこがライバル視していたこずえが訪れるので、こずえもりりこと感応した、という見方もできます。
『ヘルタースケルター』を無料で見るには?
動画配信サービスでは、『ヘルタースケルター』を無料で視聴できます。
見られるサイトをまとめた記事がありますので、視聴したい方はご覧下さい。
映画ヘルタースケルターのフル動画を無料で視聴する方法!パンドラやデイリーモーションは危険?
まとめ
私の感想なのですが、映画と原作、どちらがいいということはなくて映画と原作は似て非なるもの。
映画は岡崎京子の『ヘルタースケルター』を映画化したものというよりは「蜷川実花の映画」として楽しむのがいいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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